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2007/09/01の記事です

石狩鍋は家庭料理ではなかった ~元祖鮭鱒料理 割烹「金大亭」のもてなしが原点

画像:石狩鍋
 金大亭の石狩鍋(鮭鍋)。鮭(シロザケ)のアラと身。地元の木綿豆腐に甘味の強い道産の夏野菜をいれる。創業の当時、キャベツ、タマネギは西洋から入ったばかりの新素材だった。そして、ナガネギは北海道産で夏に甘い軟白。昆布だしで味噌を溶く。火が通ったら鮭が固くなる前に、シュンギク。仕上げに山椒を振って、イクラを散らして出来上がり。昆布に鮭のアラの旨み、野菜の甘味、加えて山椒のつくる爽やかな深み。今までこんなうまい石狩鍋を食べたことがない。「味噌くささを抑えているのは山椒ですよ」とにっこり笑う女将。完全にやられた。家で子どもの頃から食べていたものは、ただの鮭の味噌汁だったではないか。
 ごめんなさい。僕は、石狩鍋の店といっても、「まあ、家で食べるよりちょっとおいしい」ぐらいだろうと思っていた。ところが、金大亭(きんだいてい)の鮭尽くしは、飛び上がるほど旨かったのだ。9月に入ったら、毎年必ず食べなくてはならない料理になってしまった。 一本の鮭を下ろしてくれるのだから、気に入りの友人3、4人誘って出かける。女将さんたった一人で調理をして運んでくれる。店は石狩川の河口の町、石狩新町1。札幌駅から車で40分。創業明治13年。当時からの建物の廊下を歩き、一番奥の座敷には床の間に達磨の掛け軸と古い有田の皿が飾ってあった。 「鮭のそれぞれの部位をそれぞれに手早く、丁寧に、約束事を守って仕上げれば必ずおいしくなるの。同じ材料でも心を込めないとね」。食べ終わる頃、庭を見ていた友人が、にっこり笑って。「ここはいいね。値段も安いし、親孝行で、両親つれて来ようか。庭もきれいで落ち着いているし、秋の虫の鳴き声もいい」という。見習わなければ。

 三時間も居座って、全ての料理を平らげ、特大の土鍋も空っぽ。酒も全部あいた。店を出ようとすると、女将は笑顔で帳場で待っていた。

 ダメだ、この味、食べ終わった瞬間に次はいつ食べようと考えてしまう。味の心地いい余韻が口の中にのこる。

(2007年9月1日 写真・記:杉山幹夫)

画像:女将の石黒聖子さん
女将の石黒聖子さん。一人で料理の下ごしらえから調理、接客の全てをこなす。明治の建物の一番奥の座敷に次々に出来上がった料理を運び、話し相手までしてくれる。懐かしいところに帰ってきたようなきもちだ。掲載の料理は一人4,000円。9品のコース「月」だ。3000円の「花」は7品。5,000円の「雪」は12品。フルコースの「寿」は6,000円。今度は鮭の飯ずしや切り込みも食べたい。

画像:金大亭の廊下
招きいれられた廊下は、手入れの行き届いた板床。1880(明治13)年、当時のハイカラを極めたしつらえ。手ふきの色板ガラスや欅の家具にかこまれる空間だ。広い調理場には明治の大家らしい内井戸が残っている。

画像:地図〒061-3373北海道石狩市新町1
中央バスターミナル発 石狩行きバス 終点下車 徒歩5分
営業期間11:00~19:00まで入店
予約、問い合わせ 電話 0133-62-3011
 
女将一人なので接客その他で電話に出られないことがあります。根気よくかけ直すことをお勧めします。
年中無休で、鮭(シロザケ)が上がらない時期は鱒(サクラマス)のコースが用意されます。春先の鱒の旨さは食べた人しか分かりません。通は四季、季節が変わるたびに全て訪れるといいます。

元祖鮭鱒料理 割烹 「金大亭」

画像:元祖鮭鱒料理 割烹 「金大亭」 写真の奥の砂丘の向こうはすぐに海。石狩湾だ。反対に背中は石狩川の堤防。店名は屋号の「(カネ)大からきたものだという。鍵型のカネを金に換えたのは縁起かつぎだったのかな。

 明治13年、初代女将の石黒サカさんが、新潟から渡って、石狩川河口左岸の細長い砂州の半島の突端近くに創業した。本格的な開拓が始まる前から、蝦夷地(えぞち)の産品をもとめて、本州からの人が集まり、明治の初期、北海道でも一番栄えた港町がこの石狩の本町だったのかもしれない。本町、そのすぐ隣に金大亭のある新町という地名が、石狩の中心がここだったことを指している。内地から運ばれる生活必需品が集積し、石狩川を水運につかう、あるいは陸の道を行く、北海道のものを海を通じて運び出す拠点だった。

 すぐ近くの小樽の港が隆盛を極めたり、開拓史が内陸の札幌に置かれなければ、現在の新潟港と新潟市のような巨大な港湾都市になっていたのかもしれない。さらに、「河川のバイパス工事と護岸整備で川の流れが速く海に届くようになったせいだろう」と説明してくれる地元の人がいるが、河口は海流の難所となり、大きな船を入れる港としては発展しなかった。

 近くに映画「喜びと悲しみも幾年月」の撮影で有名になった灯台がある。明治の初期はそこが、水際だったという。半島の先にあるハマナスの丘公園のほとんどは、その後堆積したものだというのだ。

 河口の港が栄えた頃、ハイカラなつくりのこの店は芸者を抱えていたと言う。うまい料理だけではなく、交易する男達、魚を扱う男達のくつろいだ姿を思い浮かべることができる。そして、東京や関西から蝦夷地にやってくる、舌の肥えた裕福な当時観光客は、地引網を体験したあと、この店の料理を楽しんだという。石狩鍋は、新鮮な鮭の上がる石狩の港、石狩の浜でしか作られない料理。しして、もてなしのために研究され抜いて生み出された料理だった。

画像:焼白子
焼白子。外は香ばしく、中はふわっと。食感、濃厚な舌触りはフォアグラのようでもあり、さっぱりとした根菜のムースのようでもあり、甘味さえ感じる。

画像:焼鮭
焼鮭。鰓のすぐ下のところ。一番大きく内臓を包む部位だから、ほとんどが、いわゆる「ハラス」だ。おいしい脂ののった部位。香ばしさ、魚の持つ本来の旨みが焼き魚にして最もうまい部位を焼き上げてくれる。画像:鮭を凍らせた刺身
鮭氷刺身(るいべ)。鮭を凍らせた刺身。これを北海道の人々は「ルイベ」と呼んでいる。この日のルイベはハラスだけを造ってくれた。今では凍った刺身をルイベと呼んでいるが、もともとは、先住民のアイヌの人たちが、冬、外で凍らせて保存した鮭などを、囲炉裏の火で解かしながらたべたものから来る言葉。ルイペ(ruype)=解ける食べ物

ル(ru)=解ける イペ(ipe)=食べ物
画像:氷頭の膾(ひずのなます)
氷頭の膾(ひずのなます)。丁寧に下ごしらえした氷頭は生臭いなどのマイナス要素が全くない。歯ごたえ、爽やかさ、そして、塩加減がじつにいい。身の締まったダイコンの歯ざわりが甘味と酸味と絡み、あっと言う間にすべてを食べてしまった。

画像:イクラの醤油漬け
「生筋子」と書いて「いくら」と読ませるお品書き。新鮮でしゃんとしているが、皮を感じない柔らかさ。ご飯に乗せるのもいいが、酒のあてにして旨い。私達が鮭と呼んでいるのはシロザケ。ベニザケやサクラマスも同じサケ属の魚だが、シロザケ以外をマスと呼んできた歴史のなかで、鮭という言葉が脂ののった旨い魚、秋に大量にやってくる勇壮なイメージになったのだろうか。鮭と北海道は切り離せない。

画像:寒塩引
寒塩引。これは塩で締めた鮭を水に晒して塩を抜いて、さらに完全に天日で干したもの。解けたり、凍ったりを繰り返し、旨みが凝縮してゆく。日向の匂いと噛み応えのあとから、強い旨みがやってくる。料理のはじめに食べた。一発で日本酒が飲みたくなる。

画像:とも和え
とも和え。熟成した旨みと思いきや、その日とれた鮭の肝でしか造れない新鮮さが一番大事な料理だという。鮭の肝臓と胃袋を砂糖と味噌で和えるのだが、山椒が効いている。一瞬、高級なチョコレートにオレンジマーマレードを載せて食べたような苦味、甘味、爽やかな香りに圧倒された。日本酒だ。燗があう。

画像:めふん
メフンの塩辛。これは、鮭の腎臓。つまり、背骨周りの血合といわれる部分の塩辛だ。鮭は海にいる間は身体に入る塩分をどんどん外に出し、川に上がると、逆にしっかり身体の中にためる。そんなことができるパワフルな臓器だから身体にいいに違いない。

 ここだけを切り出して、塩辛にすることを思いついた人は天才だと想う。しっかりと大量の塩で締めたあと、塩抜きをして調味料に漬け込む。初めて食べる人は、この金大亭がいい。少なくとも僕が今まで食べてきたものとは比べ物にならない。

 ビタミンB12が多く、ストレスの回復に役立つといわれる。「メフン」は、アイヌ語の方言のひとつで、シロザケやカラフトマスの血合いのこという。昭和初期の調査で、当時の樺太の白浦でや、北海道日高のアイヌが鮭の腎臓を「メフン」と呼んでいた記録がある。なぜ、一部の地域の言葉が料理の名前になったかは不明。

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