歴史を感じる身近な旅
![]() まだ雪が残っている。植物もまだ芽を出していない。本当の春まであともう少しである |
| 雪が降り、そして雪が解けてまた降って。強い春の日差しとともに、雪が完全になくなる。街の道路にアスファルトが現れると、北海道のオートバイシーズンの始まりだ。まだこの時期は季節の変わり目で、大気が不安定な日が多い。気温は6度。暖かい格好でオートバイを走らせてみた。 オートバイの醍醐味は、ただ風を切って走るだけではない。風を感じ、においを感じ、大地を感じ、そして空を感じる。それらを感じながら、見知らぬ場所へと訪れることである。札幌市内中心部を抜け、石狩市との境の茨戸川にやってきた。そこに、今まで行ったことのない一本の道が目に入り、一度は通り過ぎたが戻って行ってみることにした。 茨戸川の堤防の上をしばらく走ると、記念碑のようなものが目に入りオートバイを止めた。よく見ると、石狩川護岸工事起点の標柱であった。立っているものは新しいもので、ガラスのふたが付いて保存されているのは、大正6年からここにあるものであった。古いものはコンクリート製のようで、文字がかすれて歴史を感じた。 それは今から遡ること110年前の1899(明治32年)年、大雨の度に氾濫を起こしていた石狩川の治水事業を本格的に着手したしるしである。この石狩川治水事業で中心的な役割を果たしたのは、後に開設される石狩川治水事務所所長の岡崎文吉であった。彼は、自然を生かした治水工事を行い、環境に優しい治水事業に取り組んできた。しかし、1918(大正7年)年、前年に内務省から派遣された沖野忠雄により、自然を生かした治水から川の流れを変える治水方法に方針が変わり、所長の職を退任することになったという。現在残されているこの標柱は、起点が大正6年で、終点は大正7年である。長きにわたり石狩川の治水に携わってきた岡崎文吉の最後の事業だったのだろうか。その後方針は変わり、曲がりくねっていた石狩川も流れを変え、曲がりくねった部分は今では茨戸川となって市民の憩いの場となっている。そして、岡崎文吉の自然を生かした治水は、1世紀の後に再び関心をよんでいる。 ふらっと偶然見つけ立ち寄った石碑だが、そこには深いドラマがあった。札幌近郊には、古代遺跡やストーンサークルなども数多くある。そんな史跡や遺跡を訪れることで、ひと味違った観光も楽しめる。興味のある方は是非調べて訪れてみてほしい。そして、調べてみると、そこにはいろんなドラマが見えてくるはずだ。次はどんな発見に出逢うのだろうかと心を躍らせながら、オートバイを走らせ家路へと向かった。(2009年4月1日・星 桂一) ■ 関連リンク |
![]() 現在の標柱と記念碑。ガラスで保護されているのは当時からの標柱 ![]() 当時の標柱 ![]() 茨戸川堤防にある標柱と記念碑 |

















